【はじめに】この記事はお子さんが不登校になった親御さんのために書いています。
この記事は、お子さんが不登校になって悩まれている親御さんのために書きます。
よくあるお悩み解決の記事ではありません。
不登校は「悩み」を解決すればすぐ「治る」ものではありません。
ネット検索で出てきた一問一答のブログの内容で症状が一気に好転することはまずありませんし、精神科医のアドバイス一つで登校が再開することもありません。お子さんが学校に行かなくなったのは理由は、そんなに単純ではないと思います。
精神科医には「時間が解決することも多くあるので、ゆっくりしましょう」と言われるかと思いますが、そんな落ち着いて待ってられないのではないですか。代り映えのしない日々に、本当に子どもの心理状態が良くなっているのか、今の治療が合っているのか不安になることでしょう。
結論をいうと、「時間が解決することも多い」は合っています。むしろ個人的には「時間にしか解決できないこと」がたくさんあると思っています。もちろん、うつ病やパニック障害は時間だけではほとんど治りません。ただ薬を飲んだとしても、想像よりも時間はかかります。
治療の進みや成長には個人差がありますが、この記事を読んで「思ったよりも時間がかかるんだな」と思っていただければ幸いです。
軽い自己紹介
僕は1994年生まれで今年2024年に30歳になった男です。不登校だった期間は中学1年の2学期から中3までの約3年間です。
今だから知っている(分かった)ことですが、ASD(自閉症スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の当事者です。IQはバラツキがあり、低い項目で95程度、高い項目で105程度です。ただの凡人です。良ければ筆者の自己紹介ページを見てください。
なぜ自己紹介を書いているかというと、今お悩みの親御さんは「そうはいってもうちの子とこの人は、IQも障がい度合いも違うだろう」「うちの子が出来ないのは地頭のせいだ」と思われるのを防ぐためです。隣の芝生は青く見えるように、周りの子が優秀に見えて「うちには無理だ」と判断しがちです。上にも書きましたが、僕は至って普通です。と言いますか、ASDが強すぎてよく言い合いになるわ、ADHDの薬は飲んでるわで今でも困りごとばかりです。そんな僕でもなんとかなったから!というための一つの根拠として自己紹介を書いています。
不登校年表
赤ちゃん時代【不登校以前】
「赤ちゃんなんだから不登校以前に決まってるやろ!」というツッコミは置いといて。
母子手帳を見ると、普通の赤ちゃんだったようです。祖父と祖母がよく構ってくれていたそうで、話しかけると「うへへへでへへへ」と笑う子でした。「話しかけたら笑って返事をする子です。家でも構ってもらうことが多いのでしょう」と病院からの一言欄に書かれていました。この頃は発達障がいの症状もなく、すべて「問題なし」に丸を付けられていました。
幼稚園時代【不登校以前】
母は腰が悪く手術で入院したり、退院しても抱っこができない等の理由から保育園に預けたらしいのですが、1か月ほど経ってもギャンギャン泣いてばかりいたので保育園はやめにしたそうです。代わりに祖母が面倒を見てくれていました。
満3歳になる年に、幼稚園に入園しました。保育士さんとの連絡帳をみると、発達障がいの兆しがある事柄がたくさん書かれていました。
・先生の後をずっと付いてくるが、話かけてくるわけでも用があるわけでもない。
友達といるのが不安だったのか、好きだった先生にずっと付いていたようです。先生が「〇〇くんも一緒に遊ぼう!」と輪を広げてくれると、先生抜きで友達と遊べる子でした。結局、これは卒園するまで続いていました。
・友達が噛んだこと(言い間違え)を悪口だと勘違いしてすぐ泣いてしまう。
友達の「(筆者の名前)くん、こっ・・こんにちは」などの噛んだ言葉を悪口だと思って怒ったり泣いたりしていました。「どこが悪口に聞こえるの?」という話ですが、発達障がい特性の「被害妄想」「ルーティンやルールが崩れるとパニックになる」が合わさって泣いてしまっていたと今になれば分かります。これは中学1年くらいまで続きました。
・何をするにも先生に「これしていい?」と質問する。
不安だったんでしょうか。お絵描きでも「お空を赤く塗っていい?」「千切った紙をぺたぺた貼っていい?」と何十回も訊いていたようです。
・女の子の友達とばかり遊んでいる。
一般的に4,5歳の子どもは同性と遊ぶことが多いようです。女の子の方が優しくて、いろいろお世話してくれるからでしょうか。よく「もう外遊びの時間は終わりだよ!」と言われていた記憶があります。
小学校時代【不登校以前】
一言で言うならかなりの問題児でした。
細かいことを書くとアレですが、母親と菓子折りをもってクラスメイトの家に謝りに行った回数は数えられません。先生からの電話や呼び出しの回数も数えきれないほどでした。不良やヤンキーだったわけではありませんし、イジメをしていた、イジメを受けていたわけではありません。
当時の悪行は、「喧嘩になった友達を叩く」「授業中、前の席に座っていた子の髪の毛を勝手に切る」「同じく定規で肩を叩く」「かんしゃくを起こして先生に消しゴムを投げる」「休み時間に外へ飛び出し、次の授業が始まっても帰らず外で遊ぶ」などなど・・・。喧嘩した友達を叩くと言っても、少し注意されただけです。「〇〇くん、そうじゃなくてこうせな」という一言でパニックを起こして叩いたりつき飛ばしたりしました。一方的な暴力です。学校のカウンセラーと面談(診察?)し、「知能に問題はないけど、言語能力に問題があって社会性が乏しいところがある」と診断されました。前述した通り、ASDとADHDの特性が出ていたようです。
そういう自分が嫌だったのかストレスがあったのか、五年生頃から学校をずる休みするようになりました。熱があると嘘をついたり、お腹が痛いと嘘をついたり。幸い?小さい頃から体が弱い子だったので、母親は信じてくれました。頻度としては多くないですが、月に1~2回はぐずっていました。
小学校時代の母親の教育
恐らく教師やカウンセラーから「家でのしつけや環境が悪いのでは?」と責められていたと思います。先日、「どんな風に思ってた?」と聞いたら、「私の子供のころと似ていて引っ込み思案な子だと思った。すぐに手が出るのはなんでだろう、少し変わった子だなと思った。知的障害や自閉症(当時の呼び方)はないと思ったけど、何かあるだろうなって感じだったよ」と言っていました。当時、発達障がいはあまり広まっていませんでしたが、そういった特性のある子じゃないかと予想していたようです。
うちの母は僕の話をよく聞いてくれて、一方的に怒鳴ったりしませんでした。
友達と喧嘩して授業中に無断で家に帰ってきちゃったときも「アイス食べて元気出してまた学校行こっか」と言ってくれました。学校からトラブルの報告電話が掛かってきたときも、必ず僕の話や言い分も聞いてくれました。問題を起こしすぎて「絶対に筆者が悪い」と決めつけられ教師に冤罪をかけられた時も最後まで味方をしてくれました。
ただ、その分「ダメなものはダメ」とめっちゃくちゃ怒られました。「友達を叩いたのはどの手や!言うこと利かへん手はお母さんが切り落としたる!!」と包丁とまな板をダイニングテーブルに出された時はビービー泣きました。母は有言実行が具現化したような人なので、本気で切られると思いました。今だったら厳しすぎる子育てかもしれませんし、虐待と言われるかもしれません。でも絶対に、僕の人格や心を否定しませんでした。「あなたの心は悪くない。言うこと利かない手が悪いんだ」と。罪を憎んで人を憎まず。怒った後は必ず「いつかできるようになるから。良い子なのはお母さん知ってるからね」と言ってくれました。学校からは親の教育が悪いと言われ、父親は教育に参加せず、いくら言っても子どもは問題児のまま・・・当時の母親を思うと頭が上がりません。
中学校時代【不登校】
中学一年生の一学期までは登校していました。田舎の住宅地にある普通の市立中学校です。特段荒れた学校ではありませんでした。
ただ、物静かで騒がしいことが苦手な僕は中学生特有の「はしゃぎ」に耐えられませんでした。年齢とともに社会性が出てきて、みんなでワイワイするあの感じです。小学校とは違ってみんなで何かをする機会も増え、コミュニケーションの回数も増えていきました。それがストレスだったんだと思います。
5月中頃から学校に行くのをまたグズリ出しました。中学生になって心機一転がんばっていたのですが、再発しました。
僕は運動が苦手で、体育は通知表で1か2しか取ったことがありません。身長は高く背の順で最後の方でしたが、跳び箱は3段までしか飛べません。マット運動も前回りが70%くらいの確率でしかできません。逆上がりは1週間ほど毎日練習しましたが、1回もできませんでした。縄跳びは1回しか飛べませんし、大縄跳びなんかタイミングを見計らって輪に入ることすらできません。そういったできない自分をクラスメイトに見られるのが恥ずかしくて嫌で、体育だけサボろうと「足が痛い」と嘘をつきました。近くの病院でレントゲンを撮った結果、「結構炎症してるからギプスがいるね」と石こうで片足を固められました。「足なんか一ミリも痛くないのに、神に祈りが通じた!」と本気で喜びました。そこから2週間は足が痛いフリをするのに必死でした。
6月に入り医者から「もう治ってないとおかしい頃合いだけどね」と言われギプスを外されました。「ちょっとギプス付けるの長すぎたね。リハビリも兼ねて明日から体育も出ていいよ」と宣告されてしまいました。今度はなんて言い訳をしよう、そんなことばかり考えていました。小さな頭で考え抜いた結果、毎朝「お腹が痛い」とトイレに1時間ほどこもるようにしようと決めました。が、1週間ほどで流石の母も怒り始めました。そりゃそうだ、1時間目に体育がある日だけトイレにこもる時間が延びるんだから。母親に無理やり引きずられて学校に通うようになって数日でまた変化がありました。常にうっすら胃痛を感じるんです。今度は嘘じゃありません。母に「お腹痛い、上の方」と言っても「学校行きたくないから言ってるんでしょ!」と怒られてしまいます。完全に狼少年。自業自得といえばその通りですが、今回は本当でした。10日ほど胃痛を我慢して登校しましたが、症状はどんどん悪くなってしまい、毎朝嘔吐するようになってしまいました。母もただごとじゃないと思ったようで、すぐに病院に連れて行ってくれました。町の内科に行って、総合病院の消化器内科に行って、最終的に心療内科にたどり着き「おそらくストレスです」と診断。お医者さんから「学校はちょっとお休みして、ゆっくりするように」と言われたようで、母はこれ以降「学校に行きなさい」とは1回も言ってません。実際に僕はこれ以降、中学校でクラスに混じって授業を受けることはありませんでした。
夏休み明けから不登校になって、今まで我慢していたことがドッと押し寄せて一気に精神が不調になりました。
ここからは数か月はいろんなことがありました。「児童相談所に月1回来ている精神科の先生が児童精神の名医だよ」と誰かから教わり、その先生から処方された抗うつ薬を飲んで3日間副作用で寝込んだり、ストレスと不眠から夢遊病のような症状が出たり、もう無茶苦茶でした。母も相当悩んだのか、いろいろな治療を探してきてくれて数えきれないほどカウンセリングを受けましが、どれも大きな成果には結び付きませんでした。
今思うと、自然のまま放っておくことが一番効果があったんだと思います。おそらく、発達障がい由来のコミュニケーションのストレスで適応障害になっていたのでしょう。生まれつきの睡眠障害(昼夜逆転体質)で、朝起きづらいこともストレスだったんだと思います。なんやかんやあって、6月から翌2月くらいまではそういう生活を送っていました。ただ周りの協力のおかげで、体調は少しずつですが回復していきました。その頃に「心の調子は投資信託みたいに上がったり下がったりして回復する」と気づきました。今でも役に立っている知識です。

時系列はバラバラですが、以下は不登校の間にやっていたことです。
学校の代わりに適応指導教室に通う
地域によって微妙に名前が違いますが、中学校の代わりに「適応指導教室(自立支援教室)」に通っていました。適応指導教室は、平日10時頃から17時頃まで空いている不登校児専門の学校(教室)です。僕が通っていた所は先生が4人(定年になられた元校長先生2人と現場を離れられた教育委員会の先生2人)、教員の中でも不登校に興味があって専門的な知識を持たれた先生ばかりでした。教室というと堅苦しいですが、めっちゃくちゃ自由です。早起きの習慣を付けるため、なるべく朝に来るよう言われますが、いつ来ていつ帰ってもOK。授業もなく、やりたいことをずっとやる教室です。勉強するのが難しい子はずーっとトランプをしたり絵を描いたりしていました。11時くらいに教室へ行って、小一時間勉強して、外遊びが好きな子が来たら「おー、遊ぶか!」と近所の公園でフリスビーをして、戻ってから勉強する日もあれば続けて遊ぶ日もある、といったビックリするほど自由な生活をしていました。
こんなに自由なのに、1分でも教室にいれば、中学校に出席したことになるんです。実際に、適応指導教室に通うことも困難な子が勇気を出して週に1回5分ほどお母さんと来る、ということもありました。
ここに通い始めたのが人生の転機でした。そこで出会った元校長の先生2人に大きな影響を受け、今の自分の人格があるといっても過言ではありません。
部活には行っていた
変なタイプの不登校ですが卓球部に所属し、部活動には毎日行っていました。「運動音痴の僕にでも出来そう」というこの上ないほど失礼な入部理由でしたが、やっていくと楽しくて部活にだけは熱心に通っていました。毎日、朝から適応指導教室に行って、17時頃に家に帰ってきて母に学校まで送ってもらい、部活だけして帰ってくる生活です。先輩は15人ほどいましたがそのうち2人は不登校で、別室登校(学校には行くけど別の教室で授業を受ける)で授業を受けていました。なので他の先輩たちも理解が深く、居心地よく過ごせました。
同期のY君とすぐに仲良くなり、中学生活ではじめての「普通の生徒」の友達ができました。彼からは「今クラスで何が流行ってる」「勉強はここくらいまで進んだ」といった日常の知識から、友達との付き合い方や話し方、ちょっと悪いこと、女の子との話し方やカッコの付け方まで色んなことを教えてもらいました。彼は卓球部に似つかわしくないイケメン(失礼)で、女の子にもモテていたので物知りでした笑。お互い性格も口も悪かったので仲良くなれたのかな。中学を卒業してから会っていませんが、彼には感謝しています。
家庭教師を付けてもらっていた
というと、凄くお金持ちな家に聞こえますが違います。何度も登場している母が無理をして僕に教育投資をしてくれていただけです。家計はギリギリだったと思います。叔母が英語の教師なので、週3日ほど電話で勉強を教えてもらっていました。家庭教師に来てもらっていた教科は、数学(ご近所さん。大学院生でした)、社会(叔母の知り合い。定年退職された元社会の先生)、理科(ご近所さんで元塾講師)でした。それぞれ週1回と、適応指導教室での勉強。暗記科目は不得意だったのでテストは常に30点~50点でしたが英語と数学は80~90点をキープできました。その他にも、教育大の実習生に来ていただいたり、昼休み返上で中学校の先生が走って数学を教えに来てくれたりと、この上ない良い環境で勉強をさせてくれました。
これが後々、大きな資産になります。勉強だけできても何にもならんとも思いますが、できるのとできないのとでは雲泥の差がありました。
中学校時代の母親の教育
繰り返しになりますが、母は絶対に僕の人格や心を否定しませんでした。常に言動にだけ注意をし、必ずフォローを入れてくれました。毎日部活の時間に車を出して送ってくれたり、教育に惜しみなくお金を出してくれたり、常に僕のことを信じようとしてくれました。
高校時代【脱不登校】
高校は、適応指導教室の先生に教わった「現役不登校しか行けない学校(クラス)」に入学しました。詳しく書くとバレそうなのでボカしますが、不登校気味ではなく完全な不登校専門クラスです。当時1クラス20人~30人ほど。今は不登校の数も増えましたし、不登校専用のクラス(学校)の認知度も高いのでもっと人数が多いかもしれません。時間割りが普通科と30分ほどズレていて、誰にも会わずに登下校ができる対人恐怖症にピッタリの環境でした。
そんな高校でも、何かのはずみで1か月くらい登校しなかったこともありました。中学だったら「なんで来てなかったん?」「なんかあったん?」とクラスメイトから質問攻めにあっていましたが、みんな不登校経験者ということもあって、そういったことは誰も口にしません。1週間ぶりに登校しても、昨日会ったかのような対応をしてくれました。
「間接的な嫌なことを言わない(触れてほしくない話はしない)」「ネガティブなことはポジティブに言い換える」「大人数での目的のない会話の仕方」・・・
数えるとキリがないほどの学びを得ました。こういったことは学校、場数を踏むことでしか学べません。
以下は高校時代に気づいたことや今思うと人生のターニングポイントだったと思うことです。
不登校の理由はひとそれぞれ
母はずっと「学校でイジメられているわけでもないのに、なんで登校できないんだろう」と思っていたそうです。小・中学校の先生から「筆者くんの周りにはずっと友達がいますよ。ワイワイ楽しそうです」と言われたそうですが、半信半疑だったようです。実際、僕はイジメを受けていませんでしたし、常に友達に囲まれていた気がします(多分、ADHDの多動のせいで突拍子のないギャグをしたり、お喋りだったりが理由)。高校のクラスは25人ほどでしたが、そのうちイジメが理由で不登校になった子は5人ほどでした。もちろん本当の理由は周りに話していないだけかもしれませんが、思ったより少なくて驚いたのを覚えています。それ以外の子は僕と同じように、複合的な理由によっていけなくなったようです。パッと見や少し話した感じ、普通の子ばかりでした。ただ、考えすぎる子やストレスを内面に溜めすぎる子が多いと数年経って分かりました。当時のクラスメイトと今でもよく遊びますが、15年越しに「コイツこんなナイーブで気難しいとこあったんや」と思うこともよくあります。「人の悩みは全て人間関係によって引き起こされる」と言いますが、一言で「人間関係」といっても、人それぞれ悩んでいることも違います。
思ったより不登校はたくさんいる
当たり前ですが不登校は学校に来ないので、普段接する機会がありません。どれだけいるのか想像できないのではないでしょうか。小学校と中学校で割合が違いますが、ざっくり3%が不登校らしいです。30人クラスで約1人です。2クラスあったら2人です。地域によって違いはありますが、「この学校にはあなたのお子さんしか不登校はいません」という状況はほとんどありません。数が多いからといってお子さんの状況が良くなるわけではありません。ただ、不登校の子どもを持つ親仲間から助言を受けることで、状況が好転することも大いにあります。
集団の中で生活し、嫌いな人とも協力できる耐性をつける
中学時代は少人数で生活していたので、大人数で何かをすることも、嫌いな人と話をすることもありませんでした。高校からは20人以上のクラスメイトの中で授業を受け、集団行動をする生活に変わりました。不登校ばかりのクラスだから、僕を含めて訳のわからん奴ばかりでした(小学校のような暴力や多動は治まっていましたが)。中学で友達付き合いを学んでいない子ばかりなので、ちょっとしたことで衝突をしたり言いすぎたりする場面もよくありました。精神疾患がある子もいましたし、家庭環境が悪くて非行に走って捕まった子もいました。でも、人間関係に慣れていないだけで基本的に相手に悪意はないんです。その中でしっかり自分の意見を考えて発言する練習ができたことは大きな成長に繋がりました。
勉強から逃げない
重度のLD(学習障害)の場合は仕方がないですが、基礎学力はあった方が良いです。特にASDやADHDの発達障がいは、高校生の間で大きく成長します。僕も、脳の発達によってADHDの不注意や多動性がマシになって、座って授業が受けられるようになりました。小学校や中学校で勉強が苦手だった子も、大きく変わることがあります。不登校は今後の人生に大きな影響を与えます。「中学で習ったことなんか覚えてないや」という人がよくいますが、なんだかんだ覚えていますよ。僕は中学範囲の歴史や古典の授業を受けていないので大人になってから苦労しました(お恥ずかしい話ですが、レ点の存在を知ったのは最近ですし、奈良に都があったことは昨日知りました)。大人になってから本を読めばいいと思いがちですが、不登校は本の読み方も知らない(慣れていない)んです。「星の王子さま」「ハリーポッター」、なんでもいいです。簡単で興味の持てそうな本を1日1ページで良いので読む習慣を付けましょう。
「勉強しなくてもいい、社会で役に立たない」「好きなこと(絵やゲームなど)だけすればいい。それでプロになればいい」と軽々しく子どもに言わない方がいいと個人的には思います。プロの画家やプロゲーマーになる人は一日中練習をしています。その上、人並み以上に勉強もできることが多いです。就職するにしても同じで、基礎学力がない人を会社は雇いません。売上のグラフを読むには関数の知識がが必要ですし、アンケートの結果を分析するには平均値や中央値、標準偏差の知識が必要です。勉強も少しずつで良いんです。好きな絵やゲームを止めろとは言ってません。絵が上手いことやゲームが得意なことは、友達付き合いでは大きなアイデンティティになります。バランスよく成長させてあげてください。
もし大学進学を目指すのなら、数学と英語は必ず押さえてください。私立の公募推薦であれば英数で受験が出来ます。
高校時代の母親の教育
高校から一気に交友関係が広まりました。友人に連れられ、楽器屋さんに行ってギターを買いました(今でも続けています)。休日に遊びにいくことも増えました。その邪魔をしないように、母は僕に干渉しなくなりました。「新しい靴欲しいなぁ」と言えば「〇〇くん誘ってABCマート行ってき」と、友人と行動するように促してくれていました。その結果、高校3年間で親離れが進み、自主性を持てました。
大学以降
あまり記事の内容とは関係ないですが、不登校児が結果どうなるか知りたい方もいると思うので簡単に書きます。
公募推薦入試(英語と数学のみ)で偏差値50台後半の私立大学に進学しました。学部は理学部の生物工学科です。そのあと国立大学の大学院に進学し、2年通って修士号を取得。卒業後、専攻と全く関係ない地方新聞社に入社しました。
正直な話、困りごとも多いです。人間関係に悩むことも人一倍多いですが、人並みの社会人として生活できています。不登校から引きこもりになって、そのまま・・・という人もいますが、チャンスを逃さなければ何とでもなります。
今だからわかる不登校になった理由
すごい釣りタイトルになって申し訳ないのですが、明確な理由はありません。色々な不安や悩みや困りごとが積み重なって、学校に行けなくなりました。
お子さんが不登校や引きこもりの親御さんは大変悩まれていると思います。明確な答えや理由があれば解決できるのに!と思われていることでしょう。
イジメを受けていた子が不登校になるのは「嫌なことがあるから」「精神的な病になったから」と簡単に推測できます。僕はイジメを受けていませんでしたし、こんな無茶苦茶(衝動的に怒ったり泣いたりわめいたり)でも、友達は多くいました。向こうから勝手に寄ってくるくらいでした。一言で言い表せるほど単純な原因ではなく、コミュニケーションに気を使いすぎたり、運動ができない自分をみんなに見せるのが嫌だったんだと思います。どちらも発達障がいが原因のものだと思っています。「みんなは簡単に跳び箱が飛べるのに僕は飛べない」「みんな自然体で話してるのに僕はできない」。こういった小さなストレス、ASDが持つコダワリ(あるべき、すべき)を守れない自分に押しつぶされた。高校時代編にも書きましたが、意外と明確な理由なく不登校になる子はたくさんいます。大人になった僕でも、確信をもって説明ができません。だからといって「何が嫌だったんだろう。大した理由じゃないんだろうな」とは思いません。心が押しつぶされるほどの重大な理由です。小さな事柄が毛糸玉のように絡まってできた大きな理由です。解決するには、親子間やお子さんの友達関係の絡まりをハッキリと明確にする必要があります。お子さんが発達障がいをお持ちの場合、普通に接しているつもりでも親子間の関係が、お子さんから見れば絡まっていることがあります。発達障がいがもたらす「被害妄想」はそれほど重大です。
お母さん、お父さんが悩んだり困ったときは
僕は不登校の親ではないので、母にインタビューをしました。その話をまとめたものを書きます。
まず言いたいことは、人間はよくできていて放っておいてもちゃんと育つ、ということです。「うちの子はぼーっとしてるから心配」といっても、お腹が減ったら勝手に戸棚を漁ってお菓子を食べたり、趣味を見つけて一人で時間を潰せます。自分自身のことなので、今の辛さや体調は誰よりもよく分かっているはずです。あまりにも辛い時はゲームで現実逃避をし、昼間から布団に包まってふて寝をするはずです。でも、親は「子どもの悩み」から解放される時間がないんです。仕事をして家事をして、新しい病院やカウンセラーを探して、常に子どものことを考えているんじゃないですか。
不登校(引きこもり)のお子さんからすれば、家族がコミュニティの全てです。親が倒れれば、お子さんも同時に倒れることになります。そうならないように、ちゃんと親も息抜きをしてください。友達と飲みに行くでも、習い事をするでも、なんでもいいんです。子どもと全く関係のない別のコミュニティを作ってください。ひと時でも、子どもの悩みから物理的に解放される時間を作ってください。「家に一人で子どもを置いておくのは不安」だと思われるでしょうが、大丈夫です。数時間放っておいたって、勝手にしています。不登校は学校に行っていないだけで、ちゃんとした一人の人間です。子離れできないと、子供の自主性も自尊心も育たないままになります。同じように、子どもにも家族以外のコミュニティを与えてやってください。うちの子ども(筆者)は、インターネットゲームでした。運動が好きなら地元のスポーツクラブでも、行きつけの喫茶店を作るでも、なんでもいいんです。親が干渉できない世界を作りましょう。
一度壊れたメンタルは絶対に元に戻りません。壊れたメンタルを接着剤でくっ付ける治療は早くて2~3年、遅いと一生かかります。それは親も同じです。
・壊れてしまった子どものメンタルを治すこと、
・親のメンタルが壊れないようにすること
この2つを同時進行していくことが不登校児の教育でもっとも大切なことです。5年10年単位の、気の長い話です。最初にも書きましたが、人間は頭のいい動物です。心配しなくても日々、子どもは成長しています。お互いの距離が近いから変化に気づけないだけ。
世界一の精神科医やカウンセラーを見つけてきたところで、治療の速度はたいして変わりません。焦らずゆっくり、等身大で子どもと向き合っていくことが一番の治療だと思っています。
【まとめ】今だから思うこと
当時は大変でした。母親と僕、どちらも違った苦しみのなかで生きていました。父親は仕事一筋で家庭に介入しない主義の人だったので、母親は苦労したと思います。聞こえよくいえば「お金の心配をさせない」ということになりますが、子育てから逃げられない母親の心労は目に余ります。幸い高校から不登校を脱却できたので、不登校歴は約3年でした。思い出しても長かった。たった3年ですが、思春期で多感な時期だったので、家にいることが多くても濃密な日々でした。
ただ、僕も母親も当時の細かいことは覚えていません。「なんか大変だったねぇ」という話は2年に1回くらいしますが、それ以上の話はしません。話すと辛くなるからではなく、覚えていないからです。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という都合のいいことわざがありますが、その通りになりました。
記事タイトルの「不登校の末路」はポジティブな言葉です。末路とは、「道の終わり」を意味します。不登校にも終わりがきます。子どもに寄り添い、理解し、ともに成長をすれば「普通の子」と同じように「普通の社会人」になれます(普通が良いことかは別の話)。僕が(一応)社会人として生きていられるのも、刑務所に入っていないのも、母親のお陰です。最近は性差別の問題もあるので、お金を稼いでくれた父にも感謝すると書いておきます笑。もしあなたのお子さんが不登校ならば、小さな目標を立てて、日々の習慣にしてください。
「学校には行かなくていいけど、朝ちゃんと起きる」
「料理の手伝いをする」
「一緒に夜散歩する」
「一緒に映画をみて、感想を言い合う」
実行できたら「できたね、えらいね」と褒めてあげてください。小さな喜びはいずれ自信に変わります。
少し嫌なことを言いますが、普通に学校に行けていた子でも、まともな大人になるとは限りません。小さなきっかけが原因で無職になって引きこもりになったり、犯罪者になったり、人生なにがあるか分かりません。不登校児はまともな大人になれないとも思いません。他人事のように書きますが「そんなもん」なんです。不確定なことを考えて悩み、思い詰めても仕方ありません。不登校児は周りにいくらでもいるし、国も支援に力を入れています。楽に過ごせるように、仲間と情報を集めてください。不登校・精神疾患・発達障がいは長期戦です。本気で走っちゃうとゴールにたどり着けません。